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- 私は62歳ですが、4人の孫を引きとって育てています。きっかけはアメリカの社会問題でした

- 62歳のマダリン・コンチョラは、4人の孫娘を養子に迎え、子育てに奮闘している。
- 孫たちを引き取らざるを得なくなった理由は、娘と息子の薬物依存だった。
- ヘルスケアITアナリストとして働きながら、仕事と過酷な家計をやりくりし、孫娘たちの成長を支えている。
本稿は、アリゾナ州在住のマダリン・コンチョラ(62歳)の語りに基づく体験談である。コンチョラは7歳から19歳までの4人の孫娘を養子に迎えた。経済的な打撃は深刻だったが、孫娘たちは今、見事に成長しているという。なお、このインタビューは、読みやすさと長さの調整のために一部編集されている。
子育てを終えて、ようやく自分の時間ができたのも束の間、私は現在、7歳から19歳までの4人の孫娘を養子に迎えて育てている。2019年、当時生後10カ月だった息子の娘(現在7歳)が私のもとに預けられた。その後、2021年には娘の3人の子どもたち(12歳、16歳、19歳)を引き取る契約を交わした。
私はヘルスケア・テクノロジー分野のITアナリストとして16年間働いてきた。2人の子どもたち(長男と長女)は、順調な人生を送り、それぞれ子どもにも恵まれていた。
だが、2人ともアメリカ社会を襲うオピオイド危機※の渦中にいることが発覚したのだ。
※編注:オピオイド危機(opioid crisis)とは、依存性の高い医療用麻薬や、社会問題化している強力な合成麻薬「フェンタニル」などの蔓延による社会危機のことを指す
「子どもたちをこれ以上引きずり込むことは絶対に許さない」
まず息子の娘を私が引き取り、そのすぐ後、児童保護サービス(CPS)の支援を受けて、娘の孫娘たちも私のもとにやってきた。
親族からは強い反対があった。彼らは、私が間に入って子どもを引き取ってしまえば、母親としての責任から解放された娘を「野放し(見捨てた状態)」にすることになるのではないかと心配したのだ。
当の娘も、この状況に激しい怒りを抱いていた。しかし、私は子どもたちを、娘自身が薬物依存から立ち直る(癒える)ためのプロセスに巻き込みたくなかった。娘には「子どもたちをこれ以上引きずり込むことは絶対に許さない」と告げた。子どもたちを迎える直前、私は生活をコンパクトにしようと住まいを縮小(ダウンサイズ)したばかりだったが、一転して、より大きな車と広い家が必要になった。
こうした出来事が次々と重なる中、2020年に母が、2021年には兄が逝去した。私は母の遺品整理や遺産手続きに追われながら、孫娘たちと一緒に母の家で3年間暮らした。そして2026年の初頭にようやくすべての遺産手続きが完了した。母の家を売りに出す準備が整ったタイミングで、私たちは現在の賃貸物件へと引っ越した。
すべての環境があまりにも急速に変わっていった。孫娘たちが「おばあちゃんと暮らしたくない」と思っているのは肌で感じていた。彼女たちは心に深い傷(メンタルの問題)を抱えていたため、私はすぐに彼女たちをセラピーに通わせた。祖父母が「もう一度親になる」ためのマニュアルなんてどこにも存在しない。まるで自分の人生ではないかのような、強烈な非現実感の中にいた。
経済状況が日々の生活費に重くのしかかる
私の年収は7万ドル(約1100万円)を超えているが、全員が暮らせる広さの物件を探したため、現在の家賃は月2250ドル(約35万円)にものぼる。物価高騰のせいで、食費だけでも今や月400ドル(約6万円)に達している。ガソリン代も月に数百ドルかかる。保険料や光熱費などを含めると、毎月の固定費は数千ドルに膨れ上がる。
どうやってこれをやりくりしているのか自分でも不思議なほどだが、何とか乗り越えてきた。子どもたちのために州から月2000ドル強の補助金を受け取っているものの、それだけではすべての生活費を到底賄えない。しかも、子どもたちが成長すれば、たとえまだ一緒に暮らしていたとしても、その補助金は打ち切られてしまうのだ。
息子も娘も、子どもたちと再び一緒に暮らす(親権を回復する)ために必要な条件を満たす見込みがないと悟ったとき、私は正式に養子縁組の手続きを始めた。孫娘たちを施設(国の養護システム)に入れたくなかったからだ。
実は、私自身も養子として育ち、その事実を知ったのは29歳手前になってからだった。あの時の拒絶感、心の痛みや傷の深さは、身をもって知っている。子どもたちに、これ以上のトラウマ(精神的トラウマ)を植え付けたくはなかった。
子どもたちの心のケアを最優先に
子どもたちは全員、時期によってメンタルヘルスの課題に直面してきたが、今では見違えるほど元気に(人生を謳歌するように)成長している。学校の成績も上がり、私のそばで「安定」と「安心」を感じてくれていると思う。私自身も、ようやく生活の足場が固まり、少しだけ息を抜く余裕が出てきた。

私はどちらかと言えば厳しいおばあちゃんだが、一人ひとりの個性に寄り添い、彼女たちが今必要としているサポートを与えられるよう努めている。
19歳の孫娘は、ダンス教育を学ぶために大学に通っている。今も私が経済的な支援を続けているが、彼女自身もアルバイトに励んでいる。16歳の孫娘は高校の航空宇宙プログラムに在籍しており、将来は民間航空機のパイロットを目指す一方で、心理学にも関心を持っている。12歳の孫娘は今年、チアリーディングに熱中した。そして7歳の末っ子は、今や家族のムードメーカー(仕切り役)であり、自分のことは何でもこなすしっかり者だ。
年齢への不安、そしてこの先の働き方
最近、日常から少し離れてリフレッシュするために、ロサンゼルスへ小旅行に出かけた。私自身の人生も、まだこれから先がある。「残された時間で、自分はいったい何をしたいのか」を、ようやく少しずつ考えられるようになってきた。
長女は今、薬物を断ち(クリーンになり)、子どもたちとの関係を修復しようと積極的に努力している。彼女が母親として再び子どもたちの人生に戻ってきたことは、特に12歳の孫娘にとって大きな心の支えになっている。長女は今、自分のアパートを借りて仕事もしている。
最近、娘は私にこう言ってくれた。
「お母さん、もし私があの子たちを育てていても、最悪な結果にはならなかったかもしれない。でも、お母さんのもとで育った今ほど、あの子たちがこんなに素晴らしい子に育つことは絶対になかったと思う。私がずっと抱えてきた重い松明(たいまつ)を、お母さんにバトンとして渡したみたい。お母さんなら、あの子たちを最後まで、安全な場所へ連れて行ってくれるって信じてる」
また、子どもたちは父親側の親族とも再び連絡を取り合うようになり、それも大きな支えとなった。父親側の家族は州外に住んでいるが、精神的なサポートを提供し、プレゼントを送り、学校の卒業式にはわざわざ飛行機で駆けつけてくれる。
一方、息子のほうは今もまだ薬物依存の苦しみの渦中にいる。私は家族をバラバラにしないために最善を尽くし、子どもたちがこれからの人生で自立し、成功するために必要な「安定」と「サポート」を確保しようと必死に闘ってきた。
それでも、時が経つにつれて、自分自身の年齢や、この先いつまで働き続け、収入を得られるのかという現実が、常に重くのしかかってくる。体力が尽きて働けなくなったときに備え、得意のアートや執筆を通じて収入を得られるよう、別の道(副収入の手段)を模索しているところだ。クレジットカードの負債も、極力ゼロに抑えるよう徹底している。
私は今、これまでの自分の波乱の半生を回顧録として一冊の本にまとめる準備を進めている。長い間、自分の壮絶な過去を公に語る心の準備はできていなかったが、それに向き合うこと自体が、私自身の心の傷を癒やす(ヒーリングの)一部なのだと感じている。私には、恥じるべきことなんて何一つないのだから。























