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- ホワイトハウスの「秘密の地下壕」で何が起き、トランプ大統領が建設中の「巨大地下軍事施設」には何があるのか
ホワイトハウスの「秘密の地下壕」で何が起き、トランプ大統領が建設中の「巨大地下軍事施設」には何があるのか

- 大統領緊急作戦センターは当初、第二次世界大戦中の1942年にフランクリン・D・ルーズベルト大統領のために建設された。
- 同センターは、2001年9月11日の同時多発テロ事件直後に事実上の総司令部として機能した。
- トランプ大統領は3月、ホワイトハウス敷地内に建設中の巨大なボールルーム(舞踏室)の地下に、新たな軍事複合施設を建設していることを認めた。
ホワイトハウスを初めて実際に目にした人々は、外観が思ったより小さいとよく口にする。
デイビッド・M・ルーベンスタイン国立ホワイトハウス歴史センター(David M. Rubenstein National Center for White House History)の最高教育責任者兼ディレクターを務めるマット・コステロ(Matt Costello)氏は、「見た目に騙されてはいけない」とBusiness Insiderに語った。
「ホワイトハウスには、見た目以上のものが隠されている」と彼は言う。
「6つのフロアがあり、延床面積は約5万5000平方フィート(約5110平方メートル)。ハリー・トルーマン(Harry Truman)政権時代の改修工事で設けられた2層の地下室もある。そしてもちろん、大統領緊急作戦センターも備えている。つまり、大統領の安全・警護のための設備は、初めて外観を見た人が想像するよりはるかに大規模なものなのだ」
ホワイトハウスの地下にある安全施設——「大統領緊急作戦センター(Presidential Emergency Operations Center)」、通称PEOC、あるいは単に「ホワイトハウスの地下壕」とも呼ばれる——の存在は、いわば公然の秘密だ。映画「ホワイトハウス・ダウン(White House Down)」やテレビドラマ「24 -TWENTY FOUR-」など、さまざまなフィクション作品にも繰り返し描かれてきた。ただし、その防護・運用能力の詳細は依然として機密扱いとなっている。
PEOCはこれまで、ホワイトハウスの改修工事のたびに拡張・改修が重ねられてきた。現在進行中のドナルド・トランプ(Donald Trump)大統領による新ボールルーム(舞踏室)建設プロジェクトもその一つだ。この舞踏室は、かつてイーストウィング(東棟)があった場所に建てられている。
「ホワイトハウスの多くの場所がそうであるように、PEOCも時代とともに進化・変化を遂げてきた。最先端の通信システムや秘密回線など、何らかの国家的大惨事や緊急事態が起きたとき、大統領、副大統領、大統領家族、閣僚らが必要とするあらゆる設備が整備されてきたのだろう」とコステロ氏は語る。「そこは、ホワイトハウスの敷地内で最も安全な場所とされている」。
PEOCについて、これまで判明している事実を見ていこう。
大統領緊急作戦センターはもともと、第二次世界大戦中の1942年、ルーズベルト大統領の保護を目的に建設された

1941年の真珠湾攻撃を受け、同年、財務省内に仮設の防空壕が建設された(財務省ビルはホワイトハウスに隣接しており、イーストウィングと地下通路で繋がっている)。
1942年、フランクリン・D・ルーズベルト(Franklin D. Roosevelt)大統領がイーストウィングを拡張して2階部分を増築した際、その地下に新たな大統領用防空壕が建設された。コンクリート壁で強化された内部には、寝室と浴室のほか、防護マスク、食料、通信機器が備えられた。
「地下に何かを建設するのに最適なタイミングは、地上で建設工事が行われているとき。ホワイトハウスでは特にそうだ」(コステロ氏)
ホワイトハウスの改修工事の際、ルーズベルト大統領はイーストウィングのクロークルームを映画館に改装する工事も行った
地下壕は、1948年から1952年にかけて行われたトルーマン大統領による大規模改修工事の一環として拡張された

4年間にわたる総工費570万ドル(約8億9500万円、1ドル=157円)の改修工事は、地盤沈下が進んでいたホワイトハウス全体の構造を補強する目的で行われた。工事作業員がホワイトハウスの内部をくり抜いていくあいだ、トルーマン一家は一時的にブレアハウス(大統領公邸の向かいに位置する迎賓館)に移った。
「トルーマン改修工事では、基本的に邸宅の内部をいったん解体し、コンクリートと鉄骨で内側から再構築した。これはまさに、ホワイトハウスが防空壕として機能するよう強化するものだった」(コステロ氏)
世界が核兵器の時代に突入するなか、PEOCもこの改修工事を機に拡張・更新されたのだ。
「世界情勢が大きく変化するたびに、大統領警護のあり方は常に見直され、再評価され、必要に応じて適応されてきた」(コステロ氏)
PEOCは長らく“絵に描いた餅”的な存在に過ぎなかったが、2001年9月11日の同時多発テロのときに初めて実際に使われた

1機目の旅客機がワールドトレードセンタービルに激突した際、当時副大統領だったディック・チェイニー(Dick Cheney)氏はホワイトハウスの執務室でニュースをつけていた。2機目が激突したあと、彼を担当するシークレットサービスの主任警護官が部屋に駆け込み、PEOCに避難を促した。チェイニー氏は2011年のアメリカン・エンタープライズ研究所(American Enterprise Institute)でのインタビューで、そう語っている。
チェイニー氏によれば、警護官は「片手を私のベルトの後ろ、もう片方の手を私の肩に置き、文字通り私を執務室から押し出した」という。
チェイニー氏はPEOCで、国家安全保障担当大統領補佐官のコンドリーザ・ライス(Condoleezza Rice)氏、運輸長官のノーマン・ミネタ(Norman Mineta)氏、大統領顧問のカレン・ヒューズ(Karen Hughes)氏らスタッフと合流した。彼は当時フロリダにいた大統領のジョージ・W・ブッシュ(George W. Bush)氏に対し、ワシントンD.C.への帰還を見合わせるよう進言。これは、アメリカ史上初めて「政府継続運営計画(COG:Continuity of Operations Plan)」が発動された瞬間でもあった。
テロ攻撃後、PEOCは事実上の総司令部となった

9月11日当日のPEOC内部を捉えた貴重な写真が2014年、情報公開法に基づく開示請求を受けて国立公文書館(National Archives)によって公開され、最高機密施設の内部が初めて明るみに出ることとなった。
「私が知る限り、公開されているのはあの一連の写真だけだと思う。それも、強制的に開示させられたために公表されたのだ」(コステロ氏)
それらの写真には、電話機やビデオ通話機器、ニュース映像が流れるテレビ画面、世界時計、そしてアメリカ合衆国の地図が備わった会議室が写っていた。
当時ファーストレディだったローラ・ブッシュ氏は回顧録の中で、9月11日にPEOCで過ごした時間を振り返っている

「私は急かされて建物の中に入り、両開きの大きな鉄の扉をくぐって階下へ下りた。扉は背後でシュッという大きな音を立てて閉まり、完全に密閉された」と、彼女は9月11日当日の体験について回顧録『ローラ・ブッシュ自伝 脚光の舞台裏(Spoken from the Heart)』に記している。
「気がつくと、私はホワイトハウスの地下に広がる未完成の地下通路の一つにいた。第二次世界大戦中にフランクリン・ルーズベルト大統領のために建設された大統領緊急作戦センター(PEOC)へと続く通路だ。古いタイル張りの床を踏みしめ、天井から垂れ下がるパイプや各種の機械設備の間を進んでいった」(『ローラ・ブッシュ自伝』より)
9月11日、ワシントンD.C.に帰還したジョージ・W・ブッシュ大統領も直ちにPEOCへ連れて行かれた

ローラ・ブッシュ氏の回顧録によると、ジョージ・W・ブッシュ元大統領がPEOCに到着したのは9月11日午後7時10分のことだった。
シークレットサービスが夫妻に安全な地下壕で一夜を過ごすよう提案した際、ローラ・ブッシュ氏は折りたたみベッドが「ルーズベルト政権時代からそのまま放置されていたかのような代物だった」として、その申し出を断ったと記している。
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