

















脳の病によって“自由な体”と“当たり前の日常”を突如として奪われた、5人の子供を育てるシングルファーザー。再起をかけて選んだ道は、これまで接点のなかった「ネイリスト」という仕事だった。
宮城県多賀城市に住む佐藤邦彦さんの人生が激変したのは、2017年のことだ。
脳の病に倒れ、目覚めた時は病院のベッドの上。右足は不自由になり、利き手の右手にも力が入りづらくなった。さらに左目の視力もほとんど失うという、過酷な現実が突きつけられた。
当時9歳から19歳までの5人の子供を育てるシングルファーザーとして、建設業に従事し、家族を支えてきた佐藤さんにとって、体の自由が奪われることは、職を失うことと同義であった。
佐藤邦彦さん:
真っ暗でした。本当に真っ暗で、自分が分からなくなった。
はじめはベッドから起き上がることさえ出来なかった佐藤さん。
約2年のリハビリで杖を使って歩けるまでになったが、これまでのような生活は出来なくなり、建設業の仕事もやめることに。
その後は、就労継続支援B型事業所で、工賃をもらいながらパソコンでのデザインを学んでいた。
そして、病に倒れてから9年、佐藤さんが出合ったのが、ネイリストという道だった。
最初は「ネイルは女性のもの」という先入観もあったが、元来の器用さを活かせる「指先の仕事」という言葉に可能性を感じ、未知の世界へ飛び込む決意をした。
佐藤邦彦さん:
希望が持てるようになった。外に出られる喜び、仕事できる喜びをまた味わえて、なおかつ今回のネイリストへのチャレンジもいただいて。ネイリストでもう一度生計を立てられるようになれたら。
佐藤さんは月に2回ほど、事業所でネイル講習を受けている。佐藤さんに指導を行うのは、ネイリスト歴30年以上のキャリアを持つ千葉照実さんだ。
千葉さんは当初、佐藤さんの抱える障がいでネイリストが務まるか不安を覚えたこともあったが、その懸念はすぐに払拭された。
指摘された箇所を次回の講習までに必ず修正してきたり、細かな作業に対する「職人気質」を持っていたりと、佐藤さんの持つ素質はネイルの技術習得にマッチした。
千葉さんによると、近年、営業職や接客業に就く男性が、清潔感のためにネイルをしたり、若い世代の男性がファッション感覚でネイルをしたりすることも増えており、まだまだ数は少ないが、より相談しやすい男性ネイリストの需要は一定数あるという。

一方で、千葉さんは、障がい者が技術を身につけても、それを職業にまで繋げるハードルが高いと感じている。
ネイリスト 千葉照実さん:
支援学校にネイルなどの技術を学ぶ科があるが、世間的にあまり知られていないうえ、プロになったという声も聞いたことがなかった。指導して終わるのでなく、職業になるまでを支援したい。
ネイリストという仕事は、手が使えれば働ける可能性がある。千葉さんは、そこに障がい者の職業の選択肢として新たな可能性を見出している。
仙台市内で開催されたダンスイベント。この会場に設けられたネイルブースで、佐藤さんは初めて「一般のお客さん」に施術を行った。
緊張した面持ちで、子供の小さな爪に色を乗せていく。施術を受けた女の子から「とっても良いです」と笑顔を向けられた瞬間、これまでの努力が確かな形となった。
佐藤邦彦さん:
障がいがあることで、これまでは世に出るということがあまりなかった。先生と出会い、勉強させてもらって、やっと日の目に当たれる。

佐藤さんの挑戦を最も近くで支えているのは、子供たちだ。5人の子供のうち4人は既に自立しているが、今も一緒に暮らす末っ子の息子は、「お父さんがやりきったと思えるところまで頑張ってほしい」とエールを送る。
佐藤さんは今後、1年をかけて資格取得とさらなる技術習得を目指す。そして、ネイルサロンでの就業を目標に腕を磨いていく。
かつて障がいに絶望した佐藤さんは、ネイリストとして誰かの指先を彩り、幸せを与える人になるだろう。
仙台放送
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