




























5月24日は熊本から飛び立った特攻隊『義烈空挺隊』の出撃の日です。
和歌山県に住む隊員の遺族が5月 初めて隊員ゆかりの普賢菩薩像のもとを訪れ、手を合わせました。
熊本市東区の浄圓寺。
ここには太平洋戦争末期の1945年昭和20年5月24日に健軍飛行場から沖縄に向けて飛び立った特攻隊『義烈空挺隊』を慰霊する普賢菩薩像があります。
5月、隊員の遺族が和歌山県から訪れました。
【中本甚之助伍長の姪 東多美子さん】
「〈入浴に来る一連の兵士たち有り〉と書いてある」
普賢菩薩像は、隊員が疲れを癒やすために通った中央区黒髪にあった銭湯『観音湯』から2025年、移設されました。
この観音湯に通っていた隊員の一人が中本甚之助伍長です。
出撃前、中本伍長らは観音湯の主人、堤ハツさんに「自分たちの供養に役立てて」と所持金を渡し、これを元手に、戦後、ハツさんが菩薩像を建てました。
今回、訪れたのは中本伍長の姪など4人。
中本伍長のきょうだいが呼んでいたように親しみを込めて『甚ちゃん』と語りかけました。
【中本伍長の姪 秋山伊津子さん】
「やっと来られた。ホッとした。甚ちゃんが〈もっと早くなぜ来なかった〉と思っているかもしれない。でもこんなにちゃんと供養されていて、うれしい」
義烈空挺隊の任務はアメリカ軍占領下の沖縄の飛行場に強行着陸し、敵の航空機や施設を破壊すること。
168人のうち突入した8機に乗っていた113人が戦死。
3番機に乗っていた中本伍長は、23歳でその命を捧げました。
親族は中本伍長が「特攻で亡くなった」とは聞いていたものの、義烈空挺隊の一員だったことは最近になって知ったといいます。
【中本伍長の姉の孫 ホール靖代さん】
「すごく背が高くて男前で、帰省するときは、甥や姪に鞄を買ってきてくれたり、〈限られた命の中で身内みんなとどう過ごそう〉とかそういうのがあったのかなと思う」「特攻で出た方の命の重みがズジッときた」
『甚ちゃん』の生きた証しに触れた遺族。
普賢菩薩像が平和への思いを後世に伝える存在となることを願っています。
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