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一生に一度は見たい東京美術案内
一生に一度は見たい、尾形光琳が模写で見せた「プロフェッショナルの矜持」(東京藝術大学大学美術館)

美術評論家・ノンフィクション作家の野地秩嘉が、社会人の教養として「一生に一度は見たい美術品」をご紹介。今回は尾形光琳の技術力が圧巻の《槙楓図屏風》を取り上げます。
芸術家たちの卒業制作作品も。一度は訪れたい東京藝大の美術館

JR上野駅を降りて東京国立博物館前の道を歩いていくと、東京藝術大学に着く。道路を挟んで右側が同校音楽学部で、左側にあるのが美術学部だ。元々は東京音楽学校、東京美術学校という二つの学校だったのが、戦後の1949年に統合され、一つの大学となった。前身の一つ、東京美術学校の第二代校長が、アメリカ人美術史家アーネスト・フェノロサと共に日本美術を世界に紹介した岡倉天心である。
東京美術学校、東京音楽学校ともに教育と研究のため美術工芸品・楽譜・楽器といった価値のある資料を収蔵していた。1970年、芸術資料部門が独立し、資料・収蔵品を納めた芸術資料館ができた。その後、所蔵品は増加する一方、かつ施設が老朽化したため新館を建設することに。これが1998年に完成し、東京藝術大学大学美術館となった。
同美術館は展覧会の開催中だけ一般の人々が入館できる。収蔵品は約3万件。うち、国宝・重要文化財が33件ある。収蔵品のうち、他の美術館は所蔵していないのが「学生制作品」だろう。東京藝術大学は前身の東京美術学校が開校した頃から学生の作品を収集してきた。通常の課題として制作された平常制作、そして卒業や修了の際の優秀作品(卒業制作・修了制作)を買い上げてきたのである。例えば、日本画家として活躍している千住博、現代美術家として知られる村上隆はそれぞれ卒業制作の作品を同大学が買い上げている。
以上のことを教えてくれたのが東京藝術大学の教授、熊澤弘さんだ。熊澤さんはさらにこう付け足した。
「藝大美術館(東京藝術大学大学美術館)の収蔵品の半分くらいは学生制作品です。卒業生のひとり横山大観が残した作品もあります。残りの半分は美術館が収集したもので、尾形光琳の《槙楓図屏風(まきかえでずびょうぶ)》、高橋由一の《花魁(おいらん)》、上村松園の《序の舞》、狩野芳崖の《悲母観音》といったものは収集した作品です。これらの作品は展覧会で一般の方々に見ていただける作品です。それだけではなく、当校では教員が学生に見せたり、授業で模写させるために使う場合があります。もちろん、いずれも国宝、重要文化財ですから、簡単に授業に出せるわけではありません。ですが、模写の見本として当校の学生であれば長時間、見ることのできる作品です」
晩年を迎えてなお模写を続けた尾形光琳
模写の話になったので、本連載ではまず、尾形光琳作の《槙楓図屏風》を紹介したい。
尾形光琳作の《槙楓図屏風》は、俵屋宗達筆と伝えられる同作(山種美術館所蔵)を模写したものだ。光琳はこの絵に限らず、宗達作の国宝、《風神雷神図屏風》(建仁寺蔵)の模写も行っている。なお、光琳が模写した《風神雷神図屏風》(東京国立博物館蔵)は重要文化財だ。

光琳は宗達をリスペクトしていて、自らの制作の手本にしていたのである。東京藝術大学の学生が《槙楓図屏風》を授業で模写しているとすれば、光琳と同じことをやっていることになる。
わたしは光琳の《槙楓図屏風》は見たことがある。しかし、宗達のそれは見ていない。比較していないから何とも言えないが、資料を読むと、光琳作と宗達作では画面の右端にある槙の幹の曲がり具合、葉の密度などが違うらしい。模写と言っても、光琳はそっくりそのまま写したのではなく、細部は解釈を加えたのだろう。
また、他の資料によれば光琳は手本を前に置いて描いた「臨模(りんぼ)」という手法ではなく、トレースしたのではないかと推測されている。それであればだいたいのところはトレースし、細部についてはアレンジしたのだろう。この作品は光琳が晩年に制作したものだ。年を取ってなお、光琳は自らの研究のため、そして、画力を向上させるために宗達の作品に向かい合ったと思われる。


































