- MONEY INSIDER
- マネープラン
- 私は“漁船”で12時間のシフトで働いていた。そこで得た資金で、今では数百万ドルのビジネスを行っている

- ジャック・ングは12歳で米国に移住し、学校生活で苦労した。
- 2年間漁業に従事したことで、起業に必要な資金を貯めることができた。
- 今では経済的に安定し、アメリカン・ドリームを実現できたと彼は語る。
この体験談は、NGMAグループの創業者ジャック・ングとの対話をもとに構成したものである。長さと明瞭さのために編集している。
私は水道も電気もない中国の稲作地帯で育った。アメリカに行くというのは、まるで宇宙へ行くような気分だった。ほとんど想像もつかない夢のような話だった。
そして12歳の時、その夢は現実のものとなった。ワシントンで中華料理店を営んでいた叔父が、両親の就労ビザのスポンサーになってくれたのだ。5人兄弟の中で私だけがまだ子供だった。2人の兄と2人の姉は中国に残り、私は両親と共に渡米した。
いとこを除けば、学区全体でアジア系の子供は私だけだったと思う。英語は全く話せず、授業中に眠ってしまうこともよくあった。理解できない言語で先生が6時間も話し続けるのを聞かされるのだから、仕方がない。やがて仕事や友人を通じて英語を習得したが、高校は卒業できなかった。
船上で他の移民たちから学ぶ
アメリカに着くとすぐに叔父のレストランで働き始め、14歳の時には家族に頼らない初めての仕事を始めた。いつも一生懸命働いていたが、まともな教育は受けていなかった。お金を貯めて自分の会社を立ち上げなければならないと分かっていた。
そのため私はアラスカのベーリング海へ行き、深海漁業の漁師になった。本当に過酷な仕事だ。港を出るたびにひどい船酔いに襲われた。3カ月間、毎日12時間働いて12時間休むという生活が続いた。しかし、その3カ月を終えて戻ってきたとき、私の銀行口座には約1万5000ドル(約232万円)が入っていた。当時としては大金である。
船上では、私より年上のベトナム人、メキシコ人、フィリピン人といった他の移民たちと一緒に働いた。彼らは私に一生懸命働き、文句を言わないことを教えてくれたが、私はこの労働を長く続けたいとは思っていなかった。
兄弟も渡米して、私と働いてくれた
2年後、銀行口座には約6万ドル(約930万円)が貯まっていた。その資金を元手に21歳の時に最初のレストラン「チャイナシティ(China City)」を開店した。叔父の店より少し高級感があったが、それほど大きな違いはなかった。その頃には、兄弟姉妹もアメリカに移住していた。私たちは一緒に家を買い、同じ車で通勤した。

最初の1年は大変で、あまり儲からなかった。それでもレストランを開店できたことは、まるで自分の「アメリカン・ドリーム」を実現したような気分だった。
2年後、観光地の水辺に2号店をオープン。白いテーブルクロスを敷き、より高級感のある雰囲気を演出した。すると好評な口コミが寄せられるようになり、収益も伸び始めた。私はシアトルの名店を訪れ、できる限り他のシェフたちから学んだ。
息子が事業を引き継いでくれることを願う
48歳になった今、経営するNGMA Groupはワシントン州に5軒のレストランを所有しており、2025年には1300万ドル(約20億円)以上の売上を記録した。私の周りには優秀なチームが揃い、経済的にも安定しているため、好きな時に中国へ帰省できる。引退も可能だが、それはあまり楽しそうには思えない。
姉妹のうち1人は今も私の下で働いているが、他の3人はそれぞれの道を歩むため会社を離れた。私はアメリカに長く住んでいるため、兄弟姉妹とはビジネスの考え方が異なる。例えば、私はブランディングやマーケティングにより多くの費用を投じているが、彼らにとってはそれが正しい選択ではないのだ。
息子は22歳で、うちのレストランのひとつで働いている。いつか彼に事業を継いでほしいと思っているが、まずは彼が大学を卒業する必要がある。そして少なくとも1年は厨房で働くことも必要だ。ビジネスの運営方法を知っていることは重要だが、レストランを経営するのなら、料理や皿洗いの方法も知っておかなければならない。いつでもすぐに飛び込んで、一生懸命働ける準備ができている必要がある。
あわせて読みたい
Special Feature



























