- MONEY INSIDER
- マネープラン
- 世界旅行に出たはずの私は、いつしか日本の田舎で「起業」していた。地域活性化事業で約700万円の収益を得ている

- 大学卒業後、キラ・ベラ氏は無期限の世界旅行に出発した。
- 彼女は最初の1年間で16カ国を訪れたが、やがて日本に定住しようと決めた。
- 現在25歳の彼女は、日本の田舎の小さな町で、地域活性化事業を営んでいる。
このエッセイは、日本の体験型旅行会社「キラメキ(Kirameki)」のCEO、キラ・ベラ氏(25歳)との会話に基づく。本稿は長さと分かりやすさを考慮して編集されている。
大学卒業後、私は無期限の旅行を計画し、最初の1年間でアジアとヨーロッパの16カ国を訪れた。しかし、日本ほど私の求める条件をすべて満たしてくれる場所は他になかった。
私は6カ月間のワーキングホリデービザで日本へ移住し、その後もビザを延長し続けた。その間、いくつかの仕事を見つけ、国内を旅した。
日本の神話に根ざした芸能である神楽に出会ってから、私は特に地方の町に興味を持つようになった。神楽は、私が現在住んでいる札幌の南東にある小さな町、北広島市で、今も盛んに行われている。
私はその舞踊チームに加わり、すぐに仲間と打ち解けた。まるでコミュニティ全体に受け入れられたような気分だった。
ビザの期限が近づいていたが、私は帰国する準備ができていなかった。滞在を続ける方法を探し始め、経営・管理ビザの存在を知った。要件の一つが事業のアイデアがあることであったため、私は自分が住む田舎町の地域活性化の構想を練ったものの、当時はそれほど深く考えていなかった。
2025年2月に、私はそのビザを取得した。

旅に満ちた人生
私は日本人ではない。オーストラリアとアメリカの二重国籍を持ち、さまざまな民族的背景を持っている。タンザニアで生まれ、オーストラリアで育ち、15歳の時にアメリカに移住した。
アメリカ人の父は国連に勤務していたため、幼い頃からよく旅行をしていた。母はミャンマーの小さな村の出身で、私は仏教徒として育てられた。それが私の旅のスタイルや、日本での生活に容易に馴染めた理由となっている。

日本で自分の道を見つける
私は15歳からアルバイトをしてきた。最初はマクドナルドで働き、その後、大学在学中はウェイトレスとして働いた。
環境学を専攻していたオレゴン大学で最終学年になる頃には、私は3つの仕事を掛け持ちし、約3万ドル(約465万円、1ドル=155円換算:以下同)を貯めていた。その貯金は、日本で経営・管理ビザを申請しようと決めた際に役立った。要件の一つとして500万円の資金の保有があったが、これは私がドルで貯めていた金額と一致していた。
ビザの取得は、長く面倒な手続きだった。私にとって最大の難関だった。何もかもが時代遅れに感じられた。紙と切手しか使えなかったのも、本当に疲れた。外国人であり、新米経営者である私は、ただ適応するしかなかった。国が私に合わせるわけにはいかないのだ。

現在私は、旅行者とローカルな暮らしを結びつける地方観光事業を営んでいる。伝統的な宿での滞在を手配したり、農家、職人、パフォーマーなどと協力して、体験を創り出している。
町で唯一の英語ネイティブスピーカーとして、マーケティング、調整、そして主催を務めている。また、旅行プランの作成やゲストの案内も行い、それが収入源となっている。日本語は環境の中で身に着けた。正式なレッスンは受けていない。
毎日が新たな経験の連続
ここでビジネスを営むことで、私はリスクを取らざるを得なくなった。物件の改修に投資したり、事業のために空き家となった伝統的な日本家屋を購入したりするために、思い切った資金投入をしなければならなかった。
私は経営・管理ビザを2回申請した。最初は個人事業主として申請し、1年後に再度申請した。というのも、最初のビザは通常1年間しか有効ではないからだ。事業には約1000万円、または約6万ドルを投資し、初年度で黒字化を達成して、700万円近い収益を上げた。
要件が絶えず変わるため、ビザの維持は困難だったが、私はこの道を貫くことを選んだ。日本の官僚主義を乗り越えるのは大変だったが、その経験が私の意志を強くした。

最初は、他の人が自分と同じくらい良い仕事をしてくれると信頼するのが難しかった。今でも、自分なしで事業が運営できるとは想像しにくい。しかし、適切な人材を採用し、業務を委ねることで、自分が負担に押しつぶされないようにできると気づいた。
今では4人の従業員と、頼りにしているインターン生のチームがいる。当初は、自分以外の人を信用するのが怖かったが、この経験は私にとって大きな学びの機会となった。
仕事と生活のバランスをどう取るか、まだ模索中である。私の最優先事項は、自分のビジネスを楽しむことだ。普段は、街を案内したり、インターンやボランティアとの調整に忙しくしている。
また、田舎の伝統的な行事の語り部としても活動している。まるでエンターテイナーのようなものだ。パソコンの前では、問い合わせへの返信や、次に来る訪問者グループの旅程の計画をしている。
私には管理すべき物件が3つある。自宅、オフィススペース、そして譲り受けた伝統的な家だ。 このため、本当に休める時は、これらの手入れに時間を費やしている。庭仕事をして、野菜の植え付けや収穫もたくさんする。料理をしたり、日記を書いたりもするし、時間があれば陶芸にも挑戦している。
私には週末も勤務時間もない。オーナーである以上、仕事を切り上げることはできないのだ。
日本はまだ私にとって新鮮な場所だ。私は日本人ではないので、毎日何かを学んでいるような気がする。
あわせて読みたい
Special Feature






























