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- 「裁判傍聴Vlog」が29万回再生。なぜ今、タイパ世代の若者はスマホを置いて「霞ヶ関」へ向かうのか
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YouTubeのタイムラインに突然流れてきた動画に、思わず手が止まった。
「裁判傍聴行く日の1日Vlog♡」
ユーチューバーのトランス天使氏が投稿したその動画は、29万回再生を超えている(2026年5月2日現在)。コメント欄には「自分も行きたくなった」「私も友達と行く予定」という声が並ぶ。SNSで流れてくる「映える」カフェや観光地だけではなく、今の若者の関心は「裁判所」にも向いているらしい。
「一度行ってみたくない?」
私と高校以来の友人の間でそんな会話が自然に出たのは、それからすぐのことだった。
予約不要、服装自由。「意外に低い」傍聴のハードル
裁判所には、ニュースやドラマでしか見たことのない、どこか「遠い場所」というイメージがあった。予約は必要なのか、服装のルールはあるのか。そもそも一般人が入っていい場所なのか。
調べてみると、日本の裁判は原則として誰でも傍聴できる(一部例外あり)。予約不要、服装自由、入場も無料。思っていた以上に、ハードルはかなり低かった。
平日の朝10時、霞が関の東京地方裁判所に足を踏み入れた。重苦しい静寂を想像していたが、意外な活気に満ちていた。熱心にメモを取る法学部らしき学生、30〜40代くらいの社会人、高齢者、小学生くらいの子どもとその父親らしき人、そして私たちのような女性の学生グループなど、さまざまな人が集まっていた。
目の前で裁かれる「他人の人生」

その日、私は2つの事件を傍聴した。
1つ目は、韓国から日本への旅行中にドン・キホーテで計17点の商品を万引きしたという韓国籍の女子大生の公判だ。証言台に立つ彼女は、私とほとんど変わらない年恰好だった。証人席には、韓国から駆けつけた父親が座っている。
印象的だったのは、判決の言い渡しの場面だ。量刑を告げた後、裁判官は被告人の女子大生に向かって、静かにこう語りかけた。
「住んだことのない国に一人で何日も身柄を拘束されて、辛い思いもたくさんしたでしょう。あなたのお父様もわざわざ韓国からあなたのために来てくれています」
裁判官は「裁く」というより、人間そのものに寄り添い「更生を促す」ような言葉を選んでいるように見えた。
罰金20万円の判決が下ったが、すでに拘留されていた日数分が算入され、実質的な支払いは生じなかった。彼女はこの日、日本での拘束生活に終止符を打ち、韓国へ帰れることになる。父親が証人席で娘の姿を静かに見守っている。画面越しのニュースでは伝わらない「他者の人生の重み」がそこにあった。
その光景を見ていると、一瞬、ドラマを見ているような感覚に陥る。しかし、これは紛れもない現実であり、彼女の人生の決定的な局面なのだ。
2つ目に傍聴したのは、35歳の日本人男性による覚せい剤所持と窃盗の事件。
男性が入室した瞬間、先ほどの法廷とは明らかに異なる緊張感が漂った。前科もあるという。裁判はまず、検察官による調査結果の報告から始まった。
しかし、公判は予想外の展開を見せる。検察官が「余罪の調査が必要」と主張し、次回の公判日程を調整することになったのだ。調査が完了するまで次の公判は開けない。調査が終われば、今度は弁護士がその結果を踏まえて準備をする期間が必要になる。さらに法廷のスケジュール調整も加わり、
「次は3カ月後」
裁判官が淡々と告げる。数分のやりとりで決まる、3カ月という空白。被告人にとっては拘束期間の延長を意味するその「調整」の重みが、他人事とは思えないほど、生々しく心に響いた。
「観客」ではなく「傍聴人」として

傍聴席ではスマートフォンなど電子機器が使えないため、私は紙でメモを取った。そのデジタルから切り離された緊張感が、不思議なほど集中力を引き出した。
普段、情報を記録するときには「写真を撮ってあとで見返せばいい」「録音すればいい」という感覚がどこかにある。だがここでは、今この瞬間に目の前で起きていることを、自分の耳と目など五感を使って受け取るしかない。
情報の大半をスマートフォンのタイムラインから得ている私たちにとって、裁判傍聴はその対極にある体験だ。しかも目の前には判決によって人生を左右される人がいる。この「圧倒的なリアル」を求める感覚は、分からなくもない。
ただ、1つ拭いきれない葛藤がある。これを「好奇心」で消費していいのか、という問いだ。私自身、法廷の中で一瞬「ドラマみたい」と思ってしまった自分に後ろめたさを覚えている。そこにいる人たちは「出演者」ではないからだ。
若者が裁判に関心を持つことは、司法の透明性を高め、犯罪への抑止力にもつながるだろう。傍聴制度は、「開かれた司法」の根幹だ。しかしこれが単なる一過性のトレンドや、「コンテンツ消費」で終わってしまえば、誰かの取り返しのつかない時間を軽んじることになりかねない。
「観客」ではなく、あくまで「傍聴人」として座ること。私はまた、友人と裁判の傍聴に行く予定だ。今度は少し、違う緊張感を携えて。
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