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- 一生に一度は見たい、20年かけて彫り上げた精緻な世界。ナポレオンが遺した美しきエジプト(町田市立国際版画美術館)
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一生に一度は見たい東京美術案内

美術評論家・ノンフィクション作家の野地秩嘉が、社会人の教養として東京近郊の美術館から「一生に一度は見たい美術品」をご紹介。今回はナポレオンが制作を命じた、町田市立国際版画美術館所蔵の『エジプト誌』に注目します。
制作に20年をかけた版画
『エジプト誌』はナポレオンが命令して作らせた銅版画入りの大部(たいぶ)の博物誌だ。ナポレオンが下絵を描いた版画が載っているわけではない。彼は「作れ」と命令した。侵攻したエジプトの遺跡など文化的資産を「博物誌として残す」と決めたのが彼だ。
町田市立国際版画美術館で本物の『エジプト誌』を目の前にすると、「芸術作品とはここまで綿密につくるものなのか」と声を上げてしまう。
例えば『エジプト誌』のうちの「テーベ、メムノン 西神殿の彩色された室内の景観」と題された1枚を見ると、神殿の内部の壁や天井に描かれた画像、文様が精密に描写されている。しかも、仕上げは人間の手だ。銅板に細い線を刻み、印刷機で刷り、いくつかの図版にはひとつひとつ彩色もしている。いったい、どれくらいの時間がかかるのか想像もつかない。

メムノン神殿の内部装飾の描写も細かいけれど、さらに細密なのが部屋の隅で瞑想する人物の描写だ。よく見ると、目も鼻もちゃんと描かれている。1枚を仕上げるのに、いったい、どれほどの時間と手間がかかっているのか。
実はこれは最小サイズの図版に過ぎない。中には1メートルを超える超大型の図版も存在し、単色刷りや多色刷り、手彩色といった多様な技法が駆使されている。こうした精巧な図版が894枚載っているのが、ナポレオンの博物誌なのである。芸術作品とは思い付きやクリエイティブな考えだけでできるものではない。絵にせよ、彫刻にせよ、版画にせよ、職人が持つ技術の極致を反映させないと芸術と呼べるものにはならないのだと、『エジプト誌』は思わせる。
『エジプト誌』の背景
1798年、ナポレオンが率いるフランス軍は対抗していたイギリスとインドの交通を断つためエジプトに攻め入った。その時、ナポレオンは、軍隊とは別に総勢150人以上の学術調査団を組織して連れて行ったのである。調査団は古代の遺跡をはじめとして動植物、地質、水質、地理などあらゆるものを記録した。エジプトに住む人々の服装、体型、生活様式、風習から度量単位、貨幣の研究も行った。それらをフランスへ持ち帰るためだった。
ナポレオンはエジプトにおける陸上の戦闘では成果を挙げたが、フランスの艦隊はそうではなかった。ネルソン提督が率いるイギリス艦隊にアブキル湾の戦いで敗れ、フランス艦隊は敗退してしまう。結局、フランスはイギリスに降伏せざるを得なくなった。
イギリスは降伏条件のなかにフランスの学術調査団がエジプトで採集した遺品を譲渡することを加えた。そのため、ロゼッタ・ストーンをはじめとする多数の彫像やミイラはイギリスに渡され、現在は大英博物館に収められている。
しかし、学術調査団の「調査資料」は守られた。フランスに持ち帰ることになり、これがのちに『エジプト誌』となる(調査資料は複製されていたと書いてある文書もある)。
『エジプト誌』の刊行は1809年から始まった。全巻は23、銅版画は894葉である。エジプト遠征後に皇帝となったナポレオンが退位(1814年)し、死去(1821年)してからも、『エジプト誌』の制作は続いた。国王シャルル10世のもとで完結した国家的な事業だ。『エジプト誌』は版画の出版物としては史上最大規模の大がかりなプロジェクトと言えるだろう。
ここまで精密なものはもう作れない

同館の学芸員、高野詩織さんは「ここまで精密な形の銅版画はもう作るのは不可能ではないか」と言った。




























